あの日、母は私の体を覆って亡くなった 今、カナダで、命の尊厳を尊ぶ人の輪を広げて
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  カナダ・オタワ市 コウチ・マツモト
 
 あの日、上柳町の自宅で食卓を囲んでいた家族。私は2歳で母の膝の上でした。急にものすごい音がして、みんな家の下敷きに。這い出した祖父や祖母、父らが私を引っ張り出したけれど、大きなはりの下敷きになっていた母を助け出すことが出来なかった…。母は私の体を覆って亡くなりました。母にかばわれて生き残った自分が今、カナダの地で、ささやかながら命の尊厳を尊ぶ人の輪を広げようとしている。ほんとうに心から感謝するばかりです。母の死を、そしてその後の父、祖父母の苦労を絶対、忘れてはいけない、無駄にしてはならない。それが私の戦いです。決意であり、誓いです。
妻・リンダの支えがあって  

1967年、カナダ・カールトン大学へ留学。下宿していたステパ家族と
 
1984年、リンダとの結婚式、同志に祝福されて。
カナダ・トロント文化会館で

  カナダ・マッギル大学研究員等を経て、1986年から化学企業の主任研究員として、カナダ・カールトン大学で開発研究に従事。写真は2002年、ドイツ・ハイデルベルグでの学会発表に参加後、熊本大学研究室の教授の方たちと。2003年、熊本大学の博士号を取得

1996年、カナダ・オタワのビスタ地区の会合のあとで。前列左から4人目がリンダ、後列右端が私
 
1995年、リンダの家族とともに
1971年、アメリカ・ミシガン大学留学中。研究室の人たちと

1930年末、右より父のバイオリン教授アレキサンダー・モギレスキー先生、子息、父、祖父母、東京にて
中学3年、体育大会の合唱で指揮をとった
 
形見の絵。母が1938年、18歳の頃、絹布に花の水彩画を描き、自分で額にした

1965年頃、愛媛大学在学中。信心し始めてまもない頃、下宿先で
 
9歳、小学3年の時、新居浜市で
父と母は1941年に結婚。左より母、私、祖父。1943年、東京の自宅前で

私が小学生の1953年頃、コンサート旅行中の父
広島からアメリカに一家で移住。カリフォルニアのサンタアナで生まれた母(左端)が10歳の頃(1930年、サクラメント郊外の自営果樹園で、2人の弟たちと)


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