17歳、爆心から900メートルで被曝
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広島県西区 郭 福順
 「語り部」としての話の最後にはいつも「平和運動って結局は、私は“優しさの表現”だとそんな風に思いますんで、優しさにあふれた世の中でありますことをお祈りしながら、私の下手なお話を終わります」と言わせていただいています。苦しみは今、使命の人生へと変わりました。無差別に人殺しをする核兵器が使われることにならないよう祈りながら、全国各地から訪れる未来からの使者たちに、平和の尊さを、命の尊さをこれからも語り続けていく決意です。

友人のお別れ会で(2002年8月)
 
修学旅行の子どもたちは驚くほど熱心に話を聞く(94年)
 

信仰根本に努力した分、生活も安定、自分の中の卑屈さも取り除かれた。韓国人として、人間として誇りが持てるようになり、家族で「今年の正月が最高じゃね」という年が続くように(1995年初め)
 
証言活動、交流に功績と韓国総理大臣表彰受賞(1996年)

赤貧の中で1958年に入会。
1960年冬、子どもたちと、基町の通称「原爆スラム」で

初めて韓国の親戚を訪ねる前に、撮った家族写真(1966年)
1944年、16歳の頃。矢野町で

1949年、結婚当時。私21歳、夫24歳、原爆の後遺症で体は衰弱していた
 
「感動しました」という修学旅行生からの便りに平和への手応えを実感する

1986年、ピースフライトの一員としてアメリカ・ワシントンへ。
無名戦士の碑に献花する
 
在韓被爆者との交流のため、毎年8月に10年ぐらい韓国へ、写真は1995年の旅から


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