被爆者に大きな勇気を与えた「原水爆禁止宣言」 9ヶ月の身重で被曝、母妹を亡くし、それでも
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広島県安佐南区 松田 文姑
 昭和32年9月8日。横浜の三ツ沢競技場。「原子爆弾を使用した者は悪魔であり、魔物であるという思想を、全世界に広めることこそ、全日本男女の使命であると信じるものであります」。この日、広島から駆けつけた私は戸田城聖・創価学会第2代会長の歴史的な「原水爆禁止宣言」を、興奮に身を打ち震わせながら聞いたことを思い起こします。9ヵ月の身重で被爆。母妹を原爆で亡くし、その後夫、長男とも死別。それでも、強く生き抜く私の心には、いつも人生の師の声がありました。

今もハンドル握り元気に駆け回る
  平成3(1991)年、長男(右端)の家族と自宅前で。
長男の亡くなる7年前

昭和16年、20歳の頃
 
昭和25年頃、家族3人で岩国・錦帯橋へ
 
被爆した時、23歳で妊娠9ヵ月の私は助かったが、母と2人の妹(昭和19年頃写した写真の前が私、後列が19歳と16歳の妹)は原爆死した

昭和35年、長男が中学3年、長女が小学6年。主人が地区部長、私が地区担当員として懸命だった頃。この3年後、主人が亡くなった
昭和31年に入会、同34年頃、学会の会合で
 
時間を工夫して、長女と仏法の研さん(昭和41年頃)
沖縄で
(昭和58年)
ハワイで
(昭和50年)
 

平成8(1996)年、熟年者グループの集いで
 
平成9(1997)年、原爆ドーム前で、創価学会広島女性平和文化会議のメンバーが私の被爆体験をビデオに収録  


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