Part1勇気の証言 Part2アンネフランクと
その時代
期間中、入場者は8万人を越え、大きな反響を呼んだ
“8・15”戦後50年のヒロシマで
ホロコースト展
平和を創り出す勇気の結集を
戦後50年の1995年8月15日、広島でナチによるユダヤ人らの大虐殺という“20世紀の極限の悲劇”を語り継ぐ「勇気の証言――アンネフランクとホロコースト」展が広島で開幕(8月24日まで、広島国際会議場)。主催は同巡回展実行委員会で、広島県、広島市、米国の人権擁護団体のサイモン・ウィーゼンタール・センターが資料を提供し、海外、日本の各地を巡回。「今回の広島展は、各国巡回の集結展という意味もあります。」とは同センターのアブラハム・クーパー副館長。
午前10時から同会議場で行われたオープニングには、同センターのマービン・ハイヤー館長、クーパー副館長、ジェラルド・マゴーリス事務長、クレアモント・マッケナ大学のアルフレッド・バリツァー教授らの一行が列席。また、イスラエルのアモス・ガノール駐日大使、藤田雄山広島県知事、平岡敬広島市長、檜山俊宏広島県議会議長、橋口収広島商工会議所会頭、原田康夫広島大学学長、高橋昭博日本原水爆被害者団体協議会代表理事らが出席した。


マービン・ハイヤー館長
向上か破壊かは、人間に決定権
人権擁護へ立ち上がる決意を
 本日、ここに「勇気の証言」展広島展が開幕の運びとなりましたが、これは創価大学の皆様、並びに創立者・池田SGI(創価学会インタナショナル)会長のひとかたならぬご尽力で実現したものです。今回の展示の大成功に向け、ご尽力いただいた関係者の皆様に心より御礼申し上げます。
人類の歴史において深い意義を持つ、この広島の地において本展が開催されることは、我々すべてにとって特別な意味を持っていると思います。人類の技術の進歩には、社会の向上のために使うのか、それとも人類の破壊のために使うのかという二つの選択肢があります。その技術の主となるか、下僕となるかを決めるのは、結局、神の姿に似せて創られた人間自身であります。この広島の地ほどこれらの事実を、象徴する場所はありません。真珠湾攻撃を決めたのも人間でありましたし、広島と長崎の原爆投下を決定したのも人間だったのです。
本日は、ホロコーストの意味についてお話ししたいと思います。地震の多い国に住んだことのある人ならば、だれでもそうだと思いますがあらゆる地震に敏感に反応を示すでしょうし、また、カリフォルニアのように断層のそばに住む人は常に地震を警戒しているはずです。
なぜなら、今日、他所で起きた地震が、あすは自分の足元を揺るがすかもしれないことを知っているからです。従って地震と同様、次の人類の悲劇はどこに起こるのか。科学的手段をもっても予知することはできません。次はボスニアなのか、ルワンダなのか、または東京になるのか。だれも予知することができないのです。
今ここで、大事なのは、人権侵害されている世界のすべての地において、我々は声高にはっきりと、明白に、人権擁護のために立ち上がり、絶対に訴えていくのだという、一人一人の決意であります。「この地球上にアウシュビッツのような悲劇が二度と起こらないように」と。

「終戦の日に」「広島で」――2重の意義を刻む“ホロコースト展”の開幕式。ハイヤー館長らの手でテープカット(広島国際会議場で)

イスラエル
アモス・ガノール大使
イスラエル国民の誓い
許すことがあっても忘却してはならない
広島において、ホロコースト展が開催される意味を私は深く感じています。特にホロコーストという惨劇、悲劇を記憶にとどめるためには、大変な勇気が必要です。しかし、記憶にとどめないことには、未来を見つめることはできない。そして過去の教訓から学ぶことなく、未来へ進むことはできないのです。
 私たちユダヤの人々、イスラエル国民全員が誓い合ったことがあります。それは「許すことがあっても、惨劇を忘れてはならない」ということであります。
 戦後50年、私たち人間はあらゆる困難を乗り越える方途というものを見いだしてきましたが、一つだけ乗り越えられないものがありました。それは世界のあらゆる人々の人権であり、その擁護であります。
 すべての人々が平和裏に生活し暮らしていける人間としての権利というものを、現実のものとしていくために、尽力していかなければなりません。そしてそれは世界の人々の声を結集していけば、実現できるものであると思います。
 その方途として、このような展示を世界各地で巡回させていく、あるいはこのような惨劇を経験した都市の方々が声を大にして訴えていく――このことによって、世界の人々の声を結集し、平和を獲得していくことができるのではないでしょうか。
サイモン・ウィーゼンタール・センターと交流のあるアメリカ創価大学の羽吹好史学長
「1993年1月、訪米中の池田SGI(創価学会インタナショナル)会長は、ロサンゼルスのサイモン・ウィーゼンタール・センターを初訪問。同センターよりSGI会長に対し、『世界の他民族の間の平和と正義と相互理解――この人類共通の理想に、生涯をかけて貢献してきた』功績を称え、『国際寛容賞(人類愛国際賞)』が贈られました。受賞に先立ち、同センターの運営する『寛容の博物館』を訪れたSGI会長はハイヤー館長、クーパー副館長の案内で見学し、「私は『感動』いたしました。いな、それ以上に、非道の歴史に『激怒』しました。いな、それ以上に、未来への深い『決意』をいたしました」と感想を述べました。ハイヤー館長、クーパー副館長ら同センターの関係者はこの短い言葉のなかに、センターの目指しているものすべてが凝縮していることに、深く感動されていました。この訪問を機に「勇気の証言展」の日本での開催の準備が始まったのです。

当初は東京開催の計画でした。ところが東京展(1994年5月、東京都庁)の反響が大きかったこと、更に東京展のオープニング前、東京牧口記念会館を訪問したクーパー副館長一行に、SGI会長から、“ぜひ、全国巡回を”との提案があり、またセンターとしても、ぜひ広島でとの希望を持っておられました。その気持ちに応えられて、SGI会長からも“広島でも開催しましょう”との話があり、戦後50年の意義ある時を選んで、広島展の開催となったわけです。この広島展では同センター以外では、世界初公開となるアンネ・フランクの直筆の詩も展示されました。センターがどれほど力を入れて、広島展に臨んだかがわかります。
 被爆地・広島での開催は、ホロコーストで犠牲となった600万の人々、その一人一人がアンネ・フランクと同じように夢や希望を抱いていたのであり、そうした歴史の事実を知り、そしてその渦中に生きた人々への共感こそが、平和と人権を考えるための基盤であることがより一層浮き彫りになったのではないでしょうか。