アンネ・フランクは、4人家族の次女としてドイツのフランクフルトで生まれた。フランク家はユダヤ人だったが、ドイツ語を話し、ドイツ国民として社会に融合して生活していた。


誕生時のアンネ・フランク


アメリカのペンフレンドへ送ったアンネの手紙(1940年)
 1942年6月、13歳の誕生日にアンネは1冊の日記帳をプレゼントされた。その1カ月後、姉マルゴットに収容所への召喚状が届いたのを機に、フランク一家は隠れ家での潜行生活に入った。1944年8月、何者かの通 報により、アンネ達は逮捕され、強制収容所に送られた。アンネとマルゴットはベルゲン・ベルゼン収容所で1945年3月、息を引き取った。戦後、父オットーの手でアンネの日記が出版された。「死んでからも生き続けたい」とのアンネの願いはかなえられた。


オットー・フランクとアンネ姉妹
 ナチによるユダヤ人迫害を避けるため、オランダ・アムステルダムに移住した。ドイツが侵攻する1940年までは平穏に暮らすことができた。アンネ姉妹がアメリカのペンフレンドと文通 したのも、この当時のこと。
国外初公開
アンネ・フランクの直筆の詩
 アンネ・フランクが友人のサイン帳に記した自筆の詩が、広島展でアメリカ国外が初めて公開された。アンネ直筆の詩は、幼なじみのヘニー・シールダーの“友情のサイン帳”に記されているもの。サイン帳に、アンネは2ページを使って、明るい色遣いの多色刷りの花かごのラベルと手書きの直筆を残している。
 詩は花かごのラベル下に記された日付から1940年3月4日に書かれたものとわかるが、これはナチスドイツがオランダ侵攻を始める約2カ月前。アンネ、10歳。その詩の中には「忘れな草」の言葉が見られる。やがて来る親友との別れを予感し、「私のことを忘れないで」と訴えるアンネの心の叫びが、そこには込められているかのようだ。

写真提供=アンネ・フランク財団